カチ、カチ、と耳障りな程に振り子時計の音が部屋に響く。 アバンとマトリフの話に耳を傾けた後、ベッドの上のポップは半身を起こした 状態で、ぐっと手元のシーツを握り締めた。 < Dark End. −終焉の鐘− > 頭では、理解しているつもりだ。 なのに感情がどうしてもついていかない。 どうして、どうして自分が、と何度も何度も答えの見えない疑問が頭の中を ぐるぐると回る。 「オレ……つまり、死んじまうってコト、ですか」 「ポップ…」 かける言葉が見つからなくて、アバンがポップの肩に手を置いたまま沈痛な 面持ちで俯いた。 自分からは、何も言ってやることはできない。 励ますことも、勇気づけることも。 ましてやこの先の、絶望的な言葉なんて言える筈もない。 その事を最初から分かっていたのか、口を開いたのはマトリフだった。 「それでもお前にはいくつか選択肢がある。 選ぶのはどれでも、好きにすりゃあいい。 ひとつは、オレが定期的にお前にマホトラをかける。 まぁ…オレ自身が相当なトシだからな、そう長くは続けてやれねぇと思うがよ。 もうひとつは、封印術をかけてお前から魔法力をごっそり失くしちまう。 要するに、体に悪さしてるのはケタ外れの魔法力なんだからな、そいつを どうにかしちまえば、まず問題ねぇ。 残りのひとつは………言わなくても分かんだろ?」 流石のマトリフも最後の選択肢は言えなかったようで、渋い表情で言葉を濁す。 だが、少しも考える時間を取る事なく、ポップが浮かべたのは小さな苦笑。 それはどこか、諦めたような音を含んでいた。 「そりゃねーよ、師匠。 んなモンのどこが選択肢なんだよ。 オレには……ひとつしか選べない、そんなの選択でも何でもねぇ」 「ポップ……おめぇ、」 「師匠に負担をかけるような事はしたくねぇしさ、ここがオレの寿命なんだと そう思うことにするよ」 「何故です、ポップ!! 魔法を封じさえすれば、まず死ぬことにはならないのですよ!?」 「先生は………オレが魔法使いであることを捨てられると思ってるんですか?」 「それは…ッ」 思ってなどいるわけがない。 けれども、大切な弟子の命を秤になどかけられる筈もない。 自分の中では何よりも最優先されるべきものなのだ。 大魔王も滅び平和な世界が訪れた今、魔法はさほど重要なものではなくなっている。 死んでしまうぐらいなら、いっそのこと手離してしまった方が良いと どうしても思ってしまうのだ。 「ポップには酷な話をしていると、自分でも思っていますよ。 けれど……私は、やっぱりあなたに死んでほしくない。 これから先、楽しいことだって一杯あるはずです、まるで魔法と心中でも するかのような行為は止めて下さい」 「………オレ、」 暫くの間逡巡するかのように視線を下へ向けた後、ポップは顔を上げて マトリフとアバンの顔を順繰りに見た。 2人とも、今の自分などよりよっぽど悲壮な表情をしている。 どうやら本心から心配してくれているようなのは、痛い程に伝わって来た。 けれども、どうあっても自分の意志だけは変えようがない。 「オレ、アバン先生の元に弟子入りした頃はホント、だめな奴で…、 色んな魔法を教わったけど、メラ系ぐらいしかロクに扱えなくて、 こんなんで本当に、これから先やってけるのかって…正直、怖かった」 今でもそれは苦い記憶として残っている。 それからダイと出会い、アバンとの一時の別れがあって、旅に出て。 マトリフに出会った頃も、すぐに仲間を放り出して逃げ出すような弱さがあった。 「けど、師匠にしごかれて、少しずつ使える魔法が増えていって…、 気がつけば最強の呪文なんか使えるようになってて、大魔王と戦ってた。 オレの中でそれは……自信にもなったし、何より仲間と歩けてるんだって、 そんな気持ちがあって、嬉しかったんだ。 オレが魔法を使えたから、皆が危ない時に助けてやれた。 オレが魔法を使えたから、……ダイの力に、なれた。 オレにとって何よりも大事なこの力を、自分の命惜しさに否定したくない」 「フン…一丁前によく言うぜ」 呆れともとれるような声色で吐き捨てるマトリフに、へへへ、とポップは 苦笑を零した。 けれど師であるマトリフとも長い付き合いだ、この言葉ひとつで彼が自分の意志を 受け入れてくれたことが伝わってきている。 まだどこか納得がいかないといった風なアバンへ目を向けて、ポップははっきりと 言い切った。 「魔法使いであることをやめて、自分の存在意義まで捨てて生きるぐらいなら、 オレは、大魔道士として死ぬことを選びます」 理解したし、納得もできた。 どうして自分なのかと思ったけれども、それだけ強大な魔法力を手にしてしまった からだと思えば、少しだけ辛さが和らいだ。 恐らく自分は、強くなりすぎたのだろう。 「ポップ……」 「すみません、先生。 やっぱりどうしても、コレだけは譲れないんです」 「………でも、」 「もうよせ、アバン」 尚も説得を試みようとするアバンを止めたのはマトリフだった。 この弟子が実は相当な強情張りである事など、自分も、そしてアバンも 十分に知っている筈だ。 ポップがそうと決めたのなら、例え周りが何と言おうともそれが覆ることはない。 「ったく……どうしようもねぇ弟子だよ、お前は」 「師匠…」 「ま、さっきかけたマホトラでちったぁマシになってる筈だ。 せめて一分でも一秒でも長生きできるよう養生しろや」 「師匠………ありがとう、な」 「フン」 申し訳なさそうな口調で頭を下げるポップに、マトリフは愛想で返すこともなく アバンの腕を引っ張って部屋を後にした。 「マトリフ、良いのですか!? このままではポップが……!!」 「いいわきゃねぇが、ポップ自身がそう決めたんだ。 オレにはこれ以上どうすることもできねぇ」 廊下を歩きながら取りつく島もなく言い放つマトリフに、アバンは僅かに表情を歪める。 それがポップの意志であるのなら遮るわけにはいかないのだと、そういうマトリフの 意見も解らないでもない。 けれど、と心のどこかで納得しきれない何かがあるのだ。 「……アバン、こんなコト言ったらお前は怒るかもしれんが……」 「何でしょう?」 「確かにポップの命は此処で失うにゃ惜しい。惜しすぎる。 けどな……どっかで、嬉しいとも思ってんだ」 「嬉しい…?」 「それだけの力を持った魔法使いになった事が、な。 きっと今のアイツのレベルはオレをも遥かに凌ぐだろう。 恐らく、右に出るヤツはいねぇかもな。 名実ともに……世界最高の魔法使いになっちまいやがったんだよ」 「………。」 歩く途中で足を止め、マトリフは後ろのアバンを振り返る。 少し悲しげで寂しげにも見えた表情は、けれども微かな誇らしさがあった。 「そんな大魔道士であることをアイツは選んでくれた。 オレには………ソイツが嬉しかったのさ。 例え命を落とそうとも、それだけは捨てずにいてくれた。 そのことが………どうしようもなく嬉しいんだ」 不謹慎だと、怒るなら怒れば良い。 けれど、これがマトリフの中の正直な気持ちだった。 限界を超えてなお高まり続けるポップの魔法力は確実に彼の体を蝕んでいるが、 彼はそれを決して手放そうとしない。 それすらも全て自分の力であるのだと、そう言う姿はマトリフの目から見て非常に 眩しく映った。 もしきっと自分がポップの立場だったとしたら、恐らく自分も彼と同じ道を 歩むだろう。 アバンや仲間と共に歩み切磋琢磨して手に入れたこの力を失うというのは、 自分の今までの道のりや手に入れた誇りを捨ててしまうという事だ。 そんなこと、できる筈がない。 だからある意味でポップの答えは予想の範囲内、ともいえる。 マトリフの中で、たったひとつの誤算があったとすれば。 「それ………どういう事ですか?」 できればアバン以外の誰にも聞かせたくなかったこの話を、聞かれてしまった事。 驚いて声のした方へと目を向ければ、短い黒髪の頬に十字傷をつけた少年が立っていた。 「ダ……ダイ君!? どうしてキミが此処に…」 「アバン先生、マトリフさん、今の……どういう事? ポップが……死ぬって、何の話なの!?」 動揺を隠しきれずにアバンが問うが、そんな事おかまいなしでダイは2人へ詰め寄る。 ずっと、ずっと捜していたのだ。 ポップが黙ってパプニカを出て行ってしまってから、ルーラを駆使してあちこちを ダイは捜し回っていた。 このカールに行き着いたのは、たまたまだ。 兵士達とも顔見知りだったので、ダイの入城はある意味フリーパスである。 ひとまずアバンの所へ顔を出して挨拶がてらにポップが来ていないか訊ねようと 城内を歩いていた矢先に、今の2人の会話が聞こえてきたのだ。 「ダ、ダイ君……これはその、」 「落ち着けダイ、話はそれからだ」 「オレは落ち着いてるよ。 だから話してよ、今のこと」 「………。」 無言で視線を交わし気まずげに床へと向けたアバンとマトリフに、吐息を零して ダイは廊下の向こうへ目を向けた。 マトリフも此処に来ているということは、まず間違いなくポップは此処に居る筈だ。 2人が話さないなら彼に直接聞けばいい話である。 「ちょ…ッ、ダイ君、待ちなさい!」 「話してくれないならポップに訊くよ。 その方が話も早いだろうし」 アバンが止めるのも聞かず、早足でダイは廊下の奥へと向かう。 この先に扉はひとつきりだ、ならばきっと其処にポップはいるのだろう。 立ち止まるつもりも、気を変えるつもりもなかった。 ただひとつ悔いるべきは、気付かなかった己の浅はかさだけ。 <続> |