困った事があった時。 弱音を吐きたい時。 自分ではどうにもならなくて、手の打ちようがなくなった時。 頼るのは、最初の師であるアバンではなく、もう一人の師だった。 < Dark End. −終焉の鐘− > ルーラを解いて、ポップは静かに佇む洞窟を見上げた。 此処へ来るのは何度目だろうか。 魔法に関してはもう教える事は何も無いのだから来るんじゃないと師に 何度も言われたが、やっぱりポップにとってはいつだって頼れる師匠で、 怒られながらも何度だって足を運んでしまっていた。 だけど、今はそこから先へ進むことを何故だか躊躇われる。 体を壊しがちで寝込む事の増えた師に、更に追い打ちをかけるのでは ないかと危惧したからだ。 けれど、ポップには他にどうすることもできなかった。 誰にも言えない。ダイや両親になんて言えるわけもない。 けれど、一人で抱えるには途方もない恐怖だ。 いつ死ぬか分からないこの身を、正直なところポップは持て余している。 意を決して、ポップは中へと踏み込んだ。 いつもよく分からない道具でよく分からない実験をしている部屋に 師の姿はなく、それならば寝室かとポップの足は更に奥へと向いた。 けれどそこにも師は居らず、あるのはただ主のいないベッドだけだ。 「な……なんだ、留守かァ……」 彼は時々フラリと居なくなる事もあり、それは然程珍しいことでもない。 何故だかホッと胸を撫で下ろしてしまった自分に、思わず苦笑が漏れた。 やっぱり、言わずにいられるならそれに越したことはないのだ。 「はァ……なんだ、来て損した…。 ったく、師匠もあの体でどこほっつき歩いてんだか」 憎まれ口を叩いて、ポップはベッドの傍に膝をつく。 そっと撫でると柔らかい感触があって、ぼすんと頭をそこに乗せた。 「無駄にイイ布団なんだよな、コレ」 なんでも大戦のあと再会したアバンに贈られたらしい。 本当はこんな洞窟に一人住まいではなく、ちゃんとカールに迎えたかったらしいが マトリフがそれを一蹴したのだ。 ならばせめて体に負担のないようにと贈られたのが、これである。 最初はそれにも渋面を浮かべていたのだが、問答無用でポップが今までの寝具と 取り替えてやったのだ。 「はぁ……疲れた。ルーラ1回で疲れたってどうなんだよ、オレ……。 いいや、ちょっと此処で休ませてもらおうっと」 ブーツを脱ぎ捨てると、ポップは不在の主に了承なくベッドに潜り込む。 どうせ戻って来たマトリフに見つかっても、起きるまで放置か蹴り落とされるかの どちらかだ。 ちなみにどちらになるかは、その時のマトリフの機嫌によって左右される。 柔らかなシーツに包まるとポップはそれに鼻を寄せた。 全てを許容するように受け入れてくれるそれは、師の匂いがして安心する。 最初はうつらうつらとしていたが、いつの間にかポップは深い眠りの底に落ちていった。 「そろそろ決めてくれませんかねぇ、マトリフ」 「だーから、しつこいつってんだろ。 誰がカールなんぞに行くかってんだ。 大体、オレが宮仕えを何より嫌ってるって知ってんだろうが」 「仕えろなんて言ってないじゃないですか! 私はあなたに何かしてほしいわけじゃなくて、単にあなたの体を 心配してるだけなんですよ」 「それが余計なお世話だってんだ。 オレはまだまだ現役バリバリだ」 「そんなこと言って、こないだも体調崩して寝込んでたじゃないですか!」 わあわあと言い合いをする声があるが、人影はない。 しかしすぐに洞窟の入り口に移動呪文が着地する気配があり、詠唱者はそれでもなお 言い合いをやめていなかった。 一人は大戦の後カールの王となったアバンであり、もう一人はこの洞窟の住人である マトリフだ。 どうにかしてマトリフをカールに迎えようとするのだが、頑としてマトリフは 聞き入れず、ここ最近ずっとこの不毛な会話が繰り返されている。 うんざりした様子を隠しもせず、マトリフはずかずかと洞窟の奥へと向かった。 それを追いかけるようにしてアバンも続く。 「いい加減、ちゃんと医師の治療も受けて下さいよ」 「前にも言っただろうが、オレのこれは医者の力じゃどうにもならねぇんだよ。 病気とか怪我とかじゃねぇんだ、いわば生命力の問題でな。 ホントに風邪とかでも引いたんなら、医師の診察ぐらい受けてやるさ」 「またそんな事言って、受ける気なんかさらさら…」 「待て、アバン」 前を歩いていたマトリフが、突然歩みを止めた。 少し驚いた様子でアバンも足を止めると、廊下の隅で片膝をついたマトリフが 地面へと目をやっていた。 「どうしました?」 「……血だ」 「誰か……いるんでしょうか」 「強盗の類とは思いたくねぇがな」 言うとマトリフは真っ直ぐ寝室の方へと向かい、ドアのないその部屋を端から 覗き込むようにして窺う。 瞬間、マトリフの顔色が変わった。 「ポップ!」 ただ眠っているだけのようにベッドに横たわっているポップの傍まで駆け寄ると、 布団を引き剥がしてその顔色を覗き見た。 深く呼吸を繰り返している唇の端からは、血が零れている。 「ヤバイな……」 すぐにどういう状態か悟ったのだろう、マトリフが左手をポップの胸に翳し、 右手を下腹部につける。 左右の掌から、違う色の魔法の光が迸った。 「マトリフ!どういう事ですか…!?」 「ちょっと黙ってろ、別々の魔法を一回で使うのは集中力がいるんだ」 「で、でも、その呪文は…!!」 アバンも魔法には詳しいのでよく分かっている。 左手の魔法はベホマ、これでポップの体力を回復しているのだろう。 だが、右手の魔法は。 「マホトラ……でしょう?何故……」 「分からねぇか?この状況が」 まさかベホマを唱えるのにマトリフの魔法力が足りないわけではないだろう。 ならば、足りなくなった魔法力を補うためなどではなくて、ポップ自身にマホトラを かける事に意味がある。 「まさか………まさか、ポップは……」 「ようやく分かったかい、アバン先生よ。 ったく……予想はしてたが思ったよりずっと早かったな」 分かっていればもっと早くに手を打っておいたのに、そう考えてマトリフは渋い顔をする。 もしかしたらもう、何もかも手遅れかもしれないのだ。 <続> ※アバン先生とマトリフ師匠の組み合わせが好きです。 なんていうか、言葉の掛け合いが楽しい。 |