<The legend of the knight of the dragon.−5−>
深夜遅く。
羽ペンを走らせる手を止めて、レオナは小さく吐息を零した。
大戦の後、パプニカの復興に全力を注ぐべくレオナはあちこちを走り回っている。
本当は今すぐにでもダイを捜しに行きたいとは思うのだが、ポップが言ったのだ。
生きる時間を犠牲にしてまで、行うべきではない、と。
その言葉はレオナにとって、頬を張られるよりも強い衝撃だった。
自分の時間は、自分のためだけの時間ではない。
もちろん後先顧みず、自分の気持ちだけで動くならば真っ先に城を飛び出しても
良いぐらいなのだが、残念ながら自分の時間は自分だけの時間ではない。
このパプニカという国を背負って立つという立場にいる自分の時間は、この国の
人々が生きる時間でもあるのだ。
最善を尽くすべきは、この国の復興。
(……まぁ、あのヘタレ魔法使いクンに言われるとは思わなかったけど)
うん、と大きく背伸びをして、レオナは椅子から立ち上がった。
自分の時間を最大限に使いたいのだが、無理をしては体力が続かない。
今日の執務はここまでにしようと決めて、机の上のものを片付けていたその時、
廊下を忙しなく走る足音がいくつか続いて聞こえ、訝しげに眉を潜めたレオナは
廊下に繋がるドアを開けた。
「どうしたの?こんな時間にバタバタして……何かあった?」
「あ……ひ、姫さま!!」
足を止めたのは三賢者の一人、マリンだ。
前を行く衛兵に先に行けと指示を出すと、彼女はレオナの元へと近付いた。
「何があったの?」
「そ、それが……ポップ君が」
「ポップ君?」
それこそ世界各地を回っている筈の仲間の名前を聞いて、レオナがこくりと小首を傾げる。
「先程、門兵から連絡があって、突然ルーラの光が見えたかと思ったら、
目の前にポップ君が倒れていたと」
「なんですって…!?」
「何かあったのかもしれませんから、今、衛兵に言って門兵の数を増やしました。
ポップ君は救助して、今は医務室で休ませています。
かなり衰弱して危険な状態で……これからエイミと2人で治療に向かおうと」
「……わかった、私も行くわ」
こくりと頷くとレオナもマリンと並んで廊下を歩き出した。
深夜という時間帯もあって、本来ならば静かな空間が広がっていなければ
いけないのだが、あちこちを兵士が走り回って随分な騒々しさだ。
世界を救った大魔道士が倒れていたという事実が、これだけの人間を動かしている。
(そこんトコを、もうちょっとポップ君には理解しといてもらわないとね)
もしくだらない事でこんな騒ぎを起こしたのなら、当然だが鉄拳制裁だ。
竜の力でまた地上に戻された後の事は、ポップの中ではかなりうろ覚えである。
気が付いた時にはテランで描いた魔法陣の上に倒れていて、その時自分は確か
こう考えたのだ。
早く、レオナに知らせなければ、と。
なけなしの魔法力をかき集めて必死の思いで唱えたルーラの後は、記憶にない。
気がつけば白い部屋のベッドの上だった。
「………あ、」
「気が付いた?ポップ君」
「姫さん…?
じ、じゃあ、此処は……」
「パプニカよ。
門前でポップ君が倒れてたって聞いて、ビックリして飛んで来たの」
「ああ……そっか、」
目の前で呆れと安堵の表情を混ぜたような顔で声をかけてきたレオナに、ポップが
ゆるりと視線を向けて、ホッと吐息を零した。
目的地にはどうやら無事に辿り着けていたようだ。
殆ど無意識のルーラだったので、少し不安もあったのだ。
「で、どうしてポップ君がこんな状態なの?」
「ああ……本当は少し休んでから来れば、姫さんに心配かけなくても
良かったかもしんねぇな……。
けど、居てもたってもいられなくて……」
「それは分かったから。
何か、知らせたい事があったんでしょう?」
ベッドの傍に椅子を置いて腰掛けると、レオナはやれやれと肩を竦める。
問われて、ポップは己の懐に手をやった。
指先に感じる固い感触は、これまでの事が夢や幻の類でないという事の証明だ。
自分の目で、耳で、見聞きしたもの程信用できるものはない。
「知らせたいっつーか……報告、かな」
「報告…?」
「なぁ、姫さん。
あの……ダイの剣は、まだ光ってるか?」
「ダイ君の剣…? え、ええ……でも、それが?」
まだ勇者の生命がどこかで活動していることを証明する、ダイの剣に施された宝飾。
この輝きが失われない限りは、どこかに必ず持ち主の生命が在るのだと、
剣の作り手であるロン・ベルクはそう語っていた。
「オレはな……ロン・ベルクの言葉を信用していなかったわけじゃないけど……、
心のどっかで、ずっと引っかかってた。
ダイの生命を証明するものが、それだけだなんて……それしかないなんて、
信じたくなかったのかもしれねぇな……」
「ポップ君…」
「いわば、アレは【証明するもの】じゃなくて、【希望】だった。
少なくともオレにとっては……ちっぽけな希望にしか過ぎなかったんだ」
「………それで?」
「え?」
「それで、ポップ君が見つけてきたものは、なに?」
ポップの言葉に苦笑を零して、レオナはそう口を開いた。
どちらかといえばまどろっこしい事が嫌いなレオナは、単刀直入に話を
することを好む。
今みたいに遠回しに話をされても疲れるだけなのだ。
その事を感じ取ったポップが敵わねぇな、と笑みを見せる。
「確信したし、居場所も突き止めた。
ダイはちゃんと、生きている」
それを伝えたくて、無茶をしながらも此処までやってきたのだ。
むしろ驚きで固まってしまったのはレオナの方だ。
まさか、居場所まで突き止めて来たとは思わなかったから。
だが、それならそれで疑問は残る。
ポップの性格を考えると、居場所が知れたのなら何が何でもそこまで行って
ダイを取り戻そうとするだろう。
けれど彼はダイと共に戻ってきたわけではない。
たった一人で此処まで来たのだから、きっとまだ取り戻せてはいないのだろう。
「い…居場所が分かってるのなら、私達も…!!」
「無駄だよ、姫さん」
「え…?」
がたりと椅子から立ち上がって意気込むレオナに、ポップは疲れた表情を見せながら
そう呟いて動きを制止させた。
訝しげに見つめてくるレオナに、曖昧な笑みで応える。
「無駄って……どういうこと?」
「ダイの居場所は分かってる。
けど……きっと、そこに行けるヤツは誰一人いねーだろうな。
たぶん……オレも今はそこまでは辿り着けない」
「ど、どうして諦めてるのよ……ポップ君らしくないわよ!!」
「諦めてるわけじゃねぇんだ。
ただ……事実がそうなだけさ」
懐の中にある竜に貰った大切なものを握り締めて、ポップは肩を竦めてみせた。
「オレは、姫さんに何かしてほしいわけじゃねぇ。
ただ、ダイは絶対に生きてるって、そう知らせたかっただけなのさ。
アイツを迎えに行く役目は………この、オレだ」
「ポップ君…」
「ダイの剣なんかより、よっぽど信用するに値する情報だろ?
なにせ情報源はこのオレ様なんだからさ」
「……………。
この、バカァッ!!」
ベッドから半身を起そうとしていたポップの頭を、鉄拳制裁で殴りつけると
簡単に彼は大きな枕に沈んでいく。
それを満足そうに見遣ると、少し響いたのだろう右の拳を開いてヒラヒラと振る。
暫くの沈黙の後、半分涙目になったポップが頭を摩りながら恨めしげに視線を送った。
「い…ッ、いってェな、姫さん!!
なんてことすんだよッ!?」
「それはこっちのセリフよ!!
そんな事のために無理してこんなトコロまで来たのッ!?」
「そ…、そんな事って……んな言い方はねェだろーが!!」
「いーえ、言わせてもらうわポップ君。
貴方のせいで、パプニカに敵襲でもあるのかと城内はそりゃあもう大騒ぎよッ!!
なにせ、あの大魔道士が瀕死の状態で担ぎ込まれてきたんですからねッ!!
余計な騒動は巻き起こさないでちょうだい!!」
「そ…そりゃ…………悪かったよ、考えなしで…」
相当な剣幕で怒鳴ってくるレオナに、肩を小さくさせながらポップが頭を下げる。
レオナの怒りも尤もだ、冷静に考えればちゃんと体力を回復させてから余裕を持って
報せに走ることだってできたのだから。
「すまねぇな……そんなつもりじゃなかったんだよ。
ホントに生きてるって思ったら……居てもたってもいられなくってさ……、
姫さんに報せたら、きっと喜んでくれると思って……」
「嬉しいに決まってるでしょッ!!
ホントに馬鹿なんだから、ポップ君は!!」
「え…?」
頭を摩っていた手を退かして不思議そうにポップは顔を上げる。
今にも涙が零れそうな程に瞳を潤ませて、けれどそれをまるでしてはいけない事のように
必死で堪えるレオナの姿がそこにはあった。
ダイの情報が、しかも他の誰でもないポップの口から出された言葉であるのなら、
こんなに信用できるものはない。
けれど、それを素直に喜べない自分がいるのも確か。
「ポップ君、今がいつだか分かってる?」
「いつって…」
「ポップ君がパプニカまで飛んで来てから、一週間も経ってるのよ!?
さっき言ったでしょ、ポップ君、何してきたのか知らないけど、瀕死だったんだから。
回復呪文でも治しきれなくて……このまま目が覚めなかったらどうしようかって
ずっと思ってたんだから…ッ」
「あ…」
「どんな危険なことをしてきたのかは知らないけどッ、
ダイ君が戻って来てもキミの身に何かあったら意味がないのよ!!
あんまりバカなこと言ってると、ブッ飛ばすわよッ!?」
捲し立てているうちに、堪え切れなくなった涙が堰を切ったように溢れ出す。
あわあわと手をバタつかせて、ポップが宥めるようにレオナの肩に手を置いた。
「ご、ごめん…………ごめんよ、姫さん」
「………連れて帰ってくるのよね?
ちゃんと、ダイ君を連れて、キミも帰ってくるのよね?」
「………ああ、大丈夫だ。
絶対にダイを連れて、一緒に帰ってくる。
約束するよ」
「そう、じゃあ」
さっきまでの泣き顔は何処へやら、ケロリとした顔でレオナはポップの体を
ベッドへと押しつけた。
泣いた顔がもう笑っている。恐るべき変化だ。
「横になって、しっかり治して、それからダイ君を迎えに行ってちょうだい。
これはお願いじゃなく、命令よ。
違えたら………言わなくても解るわよ、ね?」
「ひ…姫さん、怖ぇ……」
「何か言った?」
「い、いやいや、なんにもッ!?」
「そう、なら良いわ」
迎えに行くのは頼まれなくても必ず向かう、そんなのはレオナにも分かっている筈。
だから彼女の命令とは、横になってしっかりと身体を治すこと。
「それじゃ、私は予定が立て込んでいるからもう行くわね。
くれぐれも……逃げ出したりなんてしないことよ」
「へーい…」
布団をすっぽり鼻まで被ってポップが答えると、レオナは目元だけを微笑ませて
部屋から出て行った。
パタン、とドアの閉まる音を聞き届けてから、ポップは小さくため息を零す。
昔から怖い王女ではあったが、最近になって特に迫力が増しているような。
(………とりあえず、逆らわない方がいいな)
心配してくれているのは感じたから、少しだけ、此処で休息を。
静かにドアを閉めて、レオナは小さく吐息を零した。
膝から力が抜けて、その場に座り込む。
ドアに背中を預けるようにして、片手で口元を覆った。
ダイは生きている。そして、居場所も分かっている。
そうなれば、後は連れ戻しに行くだけだ。
生死も居場所も分からず宛てもなく彷徨うのとは、雲泥の差。
「ポップ君…………ありがとう……」
ぽろぽろと涙が零れるのも構わずに、レオナは小さく呟いた。
けれど、ポップが運び込まれた時は本当に肝を冷やしたのだ。
土気色の顔に、今にも止まりそうな心臓。
ダイだけでなく、ポップまで失ってしまうのかと。
「お願い…………もう、無茶はしないで……」
あの状態だけで、生命を懸けるほどの相当な無茶をしたのが判る。
だから釘を刺したけれども、きっと彼はまた無茶をするのだろう。
ダイを取り戻すまでは、何度でも。
自分にはもう、祈る以外に術は無いのだ。
<続>
ポップとレオナの組み合わせって意外と書きやすかったです。