<The legend of the knight of the dragon.−3−>
逃げられたか。
そう思ってポップは小さく舌打ちを零した。
折角何か情報が得られるかもしれないと思ったのに。
しかし向こうも相当必死のようだったから、ポップは吐息を零して仕方が無いと
苦笑を浮かべた。
振り出しに戻っただけだ、しかもまだ自分はスタートを切ったところなのだから。
「……ん?」
ふいに頭上が陰って、ポップは訝しげな表情のままで上を見上げた。
何もない空が広がっていただけの其処に、何時の間にやら。
『……人の子が、このような場所で何をしているのですか』
大きな翼をはためかせて、まるで小さな子供でも覗き込むかのようにしてくるのは、
先程に見失った筈の竜だった。
ばさり、と翼を一度動かすだけで強い風が起こりポップの頬を撫でていく。
「なんだ、戻ってきてくれたのか……助かった」
『此処は人の子が出入りして良い場所ではありません』
「……ちぇっ、助けてやったってーのに随分な言い草だよなァ」
『助けた…?
もしかして、先程の魔法は………』
「そ、オレだよ、オレ」
竜の言葉にえへんと胸を反らして告げるポップを観察するように見つめて、
少しの間の後、竜はぐるりとポップの上を旋回した。
『成る程……ただの人の子かと思えば、そうでも無いようですね』
「いんやァ、俺はしがない武器屋の倅だ。
確かにアンタの言う通り、ただの人の子だよ」
『それにしては………いえ、貴方自身が気づいて無いのならば良いのでしょう。
ならば今一度問いましょう、人の子よ。
何故このような所に居るのですか?』
暫く上空を旋回していた竜は、ポップの傍らに舞い降り翼を閉じる。
じっと真っ直ぐに向けられた視線を受けて、ポップは軽く肩を竦めた。
「………人を、捜してんのさ」
『人は、そうそう容易く此処には来られません。
他を当たった方が良いでしょう』
「いやそれが、人といってもタダの人じゃァねーんだな。
俺が捜してるのは………竜の騎士、だ」
『………何者ですか、貴方は』
ポップの言葉に急に警戒心を剥き出しにした竜が、低く唸りを上げてすぐ傍の
人間を見据えた。
その言葉にビンゴ、とポップの口元が緩く弧を描く。
「だたの武器屋の倅だって言っただろ?………マザードラゴンさんよ」
断定的な物言いに、何も返せずただ竜は、じっとポップを見つめることしか
できなかった。
人間界と、天界を繋ぐ隙間。
いわば玄関口のような所なのだと、傍に降り立った竜はそう告げた。
どうやら行き先は間違い無かったようだが、どうやら目的の場所までは
届かなかったようだ。
竜の言葉に残念そうな口調でポップが答えれば、そうではありません、と
首を左右に振った黄金の竜は静かに伝える。
『天界は、選ばれた者にしか通る事を許されてはいません。
此処にすら、人の力だけでは辿り着くことなどできないでしょう』
「そっか……けど、竜の騎士の守り神が見つかっただけでもラッキーだと思う
べきだよな。
アンタなら、ダイの居場所を知っていそうだ」
『…………違うでしょう、人の子よ。
貴方は私を捜してなどいなかった。
貴方が捜しているものは、竜の騎士そのものの筈』
「そりゃそうだけど………そうだ、そういやアンタはどうして此処にいんだよ。
さっきも何かに追われていたようだったけど……」
『…………貴方は、貴方の必要な事だけをすれば良いのです。
他の事になど気を向ける必要はありません』
答える気などないのだろう、素っ気ない言葉にポップの表情が不快そうに歪む。
所々傷だらけの竜は、見るからに襲われていたのが今回だけではないのだと
想像できるのに。
「あのさぁ、マザードラゴンさんよ、あんまり人間を見くびってもらっちゃァ困る」
『どういう……意味ですか』
「そのままさ。
確かにオレはダイを捜すためだけに此処まで来た。
けど、魔族に追われて逃げてるアンタを、テメェの勝手な事情ひとつで
見捨てちまうほど堕ちちゃァいねえ」
『ですが……』
「アンタ、もう自力で戦う力も無い程に弱りきってんだろうが。
オレは一度だけアンタを地上で見た事がある。
あの時はもっと、こう……神々しい何かがあったぜ?
力を失っても尚生きようともがくアンタを……少なくともオレは見捨てたりなんか
できねぇよ」
本来ならば人の身である自分とは比べ物にならないほどの力を持っていても
おかしくない竜が、自分でも倒せるような相手に逃げ惑うようなことなど
有り得ない話だ。
なのにそれでも戦うことはせずに逃げの一手を取っていたということは、戦いを
避けたというよりも、戦う力が残っていないと考えるのが妥当だ。
恐らく今目の前に居る竜は、ポップにだって倒せるだろう。
それだけの弱々しさを感じさせるのだ。
「アンタは本来、神の眷属だろ?
なのにそんなに弱っていながら、何故天界に戻ろうとしねぇんだ。
本当にアンタの言う通り此処が玄関口みてーなモンなら、天界なんて
目と鼻の先のはずなんだろ!?」
『私には………私には、もう、あそこへ戻るほどの力も無いのです。
全ては、あの子を向こうに送ることだけに費やしてしまった……』
「………ダイ、か?」
ポップの問いかけに竜は首を縦に振る。
そして蹲るようにその場に体を伏せさせた。
本当は、もう飛ぶこともやっとだったのだ。
『あの子の傷は相当深く、私ではもうどうすることもできなかった。
けれど、まだ生きているのに放っておく事もできず……私は、あの子を
天界に送ることにしたのです。
あそこの清浄な気ならば、いずれ必ず回復する………ですが、』
そこで一度言葉を切って、竜は静かに目を閉じた。
一瞬ポップが緊張を走らせたが、力尽きる風でないそれに、ほんの少しの安堵を零す。
『……竜の騎士は本来、私が作り出したもの。
騎士がその生を全うすればまた新しい竜の騎士を。
そうやって……ずっと長い時間を生きてきた。この世界の均衡を守るために』
「……作り出した……?」
『ですが、私という存在は私しか在りません。
つまり……私が死ねば、騎士も死ぬ。
だからこそ……私は死ぬわけにはいかなかった、例え戦う力を無くしていても』
漸くポップが竜の真意を理解した。
この竜は、ただ、守るためだけに生きていたのだ。
ダイという最後の竜の騎士を、守るためだけに。
『いずれ騎士はまた地上へ戻るでしょう。
ですから人の子よ、貴方は安心してお戻りなさい』
そして満身創痍の自分の事より、相手の事を優先する。
そんな姿を見ても何も思わない程、ポップの心は弱くなかった。
「俺が戻って、アンタは独りで、こっから先をどうするつもりだ?」
『今までだってどうにかしてきたのです。
これからも……どうにかしていける筈です』
「………ホント、頑固だなぁ。
これじゃ、確かにあのバランが頑固親父の筈だぜ」
『……………。』
「言えよ!
生き延びるために、ダイを生かすために、手を貸せって!!
自分の力だけじゃどうにもならないから、力を貸せって!!」
『貴方が………私を守ると言うのですか?』
静かに問うた竜の声に、ポップは力強く首を縦に振る。
自分の力ではどうやら天界に向かうこともできないようで、ならば、此処で独りで
必死に戦い続ける孤独な竜を助けたって構わないだろう。
それに、この竜を守る事は、親友を守る事にも繋がるのだ。
「さっきみたいのに追いかけられたら、オレにでも何とかできる。
アンタに死なれたら、オレだって困るんだよ。
ダイを地上に戻すために必要なことなんだったら、尚更だ。
オレが迷う理由すら思い当たらねーよ」
『…………貴方は、とても不思議な人の子ですね』
「へっ?」
『人の子故にと思っていましたが……その器には入りきらない程の物を持っている。
何故だか……竜の気配すらも感じるのです』
「竜の……気配?」
先程から感じていた違和感の正体を理解したのか、竜は目を開けてじっとポップへ
視線を向けた。
何故そうなったのかは解らないが、この、まだ少年に分類されてもおかしくないような
人間からは、聖の気も魔の気も感じられた。
もちろん、人間の中には聖に属する呪文も魔に属する呪文も使える者が存在するのは
知っている。賢者と呼ばれるものがそうだ。
けれど彼にはそれだけではなく、通常なら感じられる筈のない、竜の気も存在するのだ。
なのに、器はどう見ても人間のもの。
こんな人間は、世界中どこを捜しても存在しないだろう。
「……ああ、そっか。
竜の気配の理由なら解るぜ。
なんかオレ、いっぺん死んだ時に竜の騎士とやらの血を受けたらしいから。
だからか知んねーけど、あの後のオレ妙に頑丈になったっぽいし?」
『そうですか……竜の血を』
普通の人間ならば、その血の強さに負けてしまうだろう。
だが予想に反して彼は今こうして目の前にいる。
生きているのだと、更なる強さを得たのだと、彼は言う。
それだけの強さを持つものが、人間というのか。
『分かりました………私はまだ、死ぬわけにはいきません』
「それじゃあ…!!」
『けれど、一度貴方は地上に戻った方が良いでしょう』
「な、なんで…ッ!?」
『肉体のない、精神体の状態で此処をうろつくのは、鞘のない剣を
ぶら下げて歩くようなもの。いずれは朽ちてしまいます』
「………う、」
それは流石に御免だと、ポップは眉根を寄せて呻いた。
何が何でもとがむしゃらにやったのは良いが、思わぬ所に落とし穴。
このまま此処を彷徨っていたら、どうやらとんでもない事になっていたらしい。
『それに、精神を剥き出しにして魔力を操るのは、生命力を削るようなもの。
人間の肉体は脆弱ではありますが、それでも重要な役割があるのです。
言わば貴方のための頑強な鎧、置いて来ては裸で戦うようなものです』
「け、けどよ、この方法以外でオレが此処に来る手段が…!!」
『大丈夫、貴方にこれを預けましょう』
ポップの目の前に、一粒の光が降りてくる。
反射的に両手を出して受け止めれば、握り拳ぐらいの大きさの鐘がそこにはあった。
黄金色の輝きを発するそれに目を向けた後、ポップは竜を仰ぎ見る。
「これ……」
『その鐘は、知らせの合図です。
私が貴方の助けを乞う時には、それを光らせ知らせましょう。
肌身離さずお持ちなさい』
「……此処に来るためには?」
『鐘が光っている時に貴方の魔法力を注げば、貴方の肉体ごと私の居るところまで
転移します』
「そっか……また、アンタのところに来れるんだな」
鐘を強く握り締めて言うと、ポップはへらりと顔に笑みを覗かせた。
と、唐突にその視界がぼやけて、ぐらりと斜めに体が傾ぐ。
思わず足を踏ん張ってそれに堪えていると、竜は仕方無さそうに吐息を零した。
『貴方の体が限界のようですね』
「え、ど、どういうこった…?」
『肉体のない精神が危険なように、精神のない肉体もまた危険なのです。
恐らく生命活動を維持できなくなった肉体が、強制的に貴方の精神を
呼び戻しているのでしょう』
「え、で、でもオレ、まだ…ッ!!」
『お行きなさい、人の子よ。
いずれまた会うことになるでしょう。
その時は………』
静かに告げる竜の言葉を最後まで聞く事もなく、ポップの意識は一瞬、途切れた。
<続>
設定にやや無茶な部分があってもご愛嬌、というコトで(^^;)