パンドラの箱、というものがある。
決して開けてはいけない箱。
それを開けると、中から悪いものが沢山出てきて、そして。


最後に残るものは。












「あーあ、また隋かぁ〜」

今日、太子からひとつの書簡が公式に僕へと渡された。
事前に少しは話を聞いていたので特に大した感慨も無く
(公式の場ぐらいジャージはヤメロと思ったけど)
受け取って、了承の意を述べて、それで終わり。
今回はむしろ気がラクだ、なんたって太子は同行しないから。
確かにアレはアレでいたらそれなりに面白いところもあるけど、
どっちかと言えば迷惑なコトの方が多いし。
サクっと行って、サクっと………帰って来れたら、いい。


分かってるんだ、本当は。
行ったら最後、戻って来れないかもしれない。
そもそも無事に向こうへ辿り着ける保証すら、ないんだ。


顔見知りに挨拶を終えて、そろそろ帰ろうかと思って廊下を歩いていたら、
視界の端に人の姿を見つけて僕は足を止めた。
誰だろう、暗くてよく分かんな…………げ、太子だ。
くっそ、なんで僕ってば一生懸命目を凝らしちゃったりしたんだろう。
おかげで声をかけなきゃいけないような気になってきたじゃないか。

「太子、そこで何をしてんですか?」
「おお妹子か」
「夜は冷えますよ、そろそろ中に入ったらどうです?」
「あー、うん」

なんだろう、少し様子がおかしい、ような?

「太子?」
「あのさぁ、妹子」
「なんですか」
「私もまた一緒に行きたいなー……なんて」
「ダ…ダメに決まってんじゃないですか!!
 何考えてんですかアンタは!!」
「だって。」

池のほとりで膝を抱えて丸まっている太子の隣に何となく腰を下ろす。
なんだろ、どっかで見たような……ああ、なんかしょんぼりしてるんだ。

「隋は自由で良かったなぁー。
 怖い怖い馬子さんもいなかったし」
「別に馬子様だって好きで怖くしてるわけじゃないと思います」
「要するに、妹子だけ楽しそうでズルイなーと思うわけだ」
「僕だって遊びに行くわけじゃないですよ」

あ、でも太子は前に隋へ行った時は遠足とかのノリだったんだっけ。
ああもうホント、どうしてこの人はこうなんだろう。
なんか太子と喋っていると、危険な旅をするんだって自覚が薄くなってくる。

「いいなーズルイなー、私も混ぜてほしいなー」
「嫌ですよ、アンタは此処で馬子様に睨まれながら仕事して下さい」
「全力で断る!」
「断るな!仕事しろ!!」
「でもさー、妹子いなくなるわけじゃん?
 つまんないなー」

おいおいおい。
僕は太子のマブダチでもなんでも無いぞ!!
なんか、来週転校していっちゃう子供の気分だ。

「あのですね、僕をまた遣隋使に選んだのは太子じゃないですか。
 だったら最初から僕にしなきゃ良かったでしょ」
「…………だって、」

すっかり拗ねた子供のような太子が、手元の石を拾って池へと投げる。
ぽちゃん、と水飛沫をあげてそれは水の中へと沈んでいった。
暗闇の中でも月明かりに照らされて、水面の波紋がよく分かる。
それを黙ったままで見つめていた太子は、不意に僕へと目を向けた。



「色々考えたけど、お前が一番相応しかったんだ」



国のためだから、己の気持ちひとつだけの我儘は言えなかった。
そう言った太子の目は、酷く真っ直ぐで。
反則だ、こんな時にこんな真面目な顔するなんて。




ああ、そうか。
僕は唐突に理解した。

箱は、とっくの昔に開いていたんだ。




「ねー、ホントに私も行っちゃダメ?」
「くどいですよ!
 そんなに行きたきゃ、馬子様に頼んでみたらどうなんです?」
「うん、言ってみたけどダメって言われちゃった」
「もう言ってみてたの!?」

こんなアホでバカで臭いオッサンを、と自分でも思うんだけど。
だけど、他でも無いこのアホでバカで臭いオッサンが言うから、とも思うんだ。

「分かりましたよ、太子がゴネるのもだいぶ鬱陶しいですからね。
 ささっと行ってささっと帰ってきますよ」
「鬱陶しいとか言うな。
 ちゃんと帰って来なかったら許さんからなー!!」
「はいはい」

きっと。
きっと無事に辿り着いて、国のために沢山学んで、きっと無事に帰ってくる。
そしたらまた、きっと、全身で体当たりとかバカみたいな事をしながら
笑顔で言ってくれると思うんだ、おかえり、って。
そう考えた僕は、少し趣向を変えてやろうと思って立ち上がった。
きょとんとした目で見上げてくる太子の前に、跪いて。



「此度の任務、必ずや」



頭を垂れて、僕は誓う。
下を向いているから姿は見えないけど、あーとかうーとか唸っている
声を聞くとさぞや困っているのだろうと想像できる。
思わず吹き出してしまいそうだ。
そろそろ顔を上げようかな、と思ったその時。



「ええいッ、くそッ!!」



わけの分からない掛け声(?)みたいなものと同時に、僕は。

「え、ちょ、なに…ッ!?」
「お前がいないと寂しいだろチクショー!!
 早く帰って来い!むしろ明日行って明後日帰って来いよ!!」
「無茶言うな!!」




僕は、太子に抱き締められていた。




「…………気をつけて行って来い、妹子」
「はい」
「あとそれと、」
「まだ何か?」

ぐりぐりと額を肩に擦りつけてくるのが非常に鬱陶しい。
鬱陶しい、けど。
普段ならブン殴るんだけど。
今日ぐらいはまあ良いか、そう思って僕は太子の背中に手を回した。
そうだ、行く時は太子のくれたジャージでも着て行くか。
一人でアレは、まあ、だいぶ恥ずかしいんだけど、でも。
色んな事を太子の腕の中に収まったままでぐるぐると考えた。
けど。



「好きだぞ、妹子」



この一言で僕の思考は完全に停止した。








どうやら箱を開けたのは、僕だけじゃ無かった、らしい。


これで僕は、何が何でも無事に行って帰って来なくちゃならなくなったわけだ。













パンドラの箱、というものがある。
決して開けてはいけない箱。
それを開けると、中から悪いものが沢山出てきて、そして。


最後に残るものは。






希望、だ。

 

 

 

 

 

 

<終>

 

 

 

 

 

お芋の一人称がどうやらだいぶ書きやすいわけで。
まだ迷走中。(私が)

 

 

 

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