「太子〜、すいませんがこの書簡に署名を……」
両手一杯に持てるだけ持った書簡の山をどうする事もできなくて、
行儀悪いと理解しつつも太子の部屋だしまあいいかという気持ちひとつで
開き直って右足で器用に戸を開く。
中に踏み込んで一歩。
ぼとぼとぼと。
景気良く床を転がった書簡など目もくれず、人っ子一人いないもぬけの殻と
化した部屋の中に一人、妹子は立ち尽くしていた。
「ま……また逃げやがったーーーーー!!!」
こう寒いと仕事なんてやってられない。
寒くなくても仕事なんてやってないのだが、それはそれだ。
温かい炬燵の中でぬくぬくと温まりながらゴロ寝をしていた太子は
夢の中で可愛いワンちゃんと戯れる夢を見てご満悦だった。
それを蔑んだ目で見ている妹子の存在など気付く筈も無い。
「このアホ太子…!!」
二つ折りにした座布団の上に乗せられている頭を見下ろしながら、
妹子は心の底からこの頭を踏みつけてやりたいという衝動に駆られていた。
それを、落ち着けと何度も胸の内で唱えて言い聞かせると、静かに
太子の傍に膝をつく。
「太子、太子ってば!!
こんなトコロでサボってないで起きて下さいよ。
ていうか、サボる度にいちいち僕の家に上がり込むの止めて下さい」
「……う〜ん……」
「仕事が溜まって皆困ってますよ、太子」
「嫌だぃ、私はまだワンちゃんと遊ぶんだー………」
「だから起きろっつってんだよ、クサレ摂政が!!」
「ゴファア!!」
短い堪忍袋がぷちんと切れた妹子の肘が太子の頭にめり込む。
「お、おま……こめかみは狙うな、こめかみは」
「仕事しないアンタが悪いんでしょ。
皆に泣きつかれて僕は困ってるんですよ。
それより太子、いつもどうやって僕の家に入り込んでるんですか?
一応戸締りはちゃんとしてるつもりなんですけどね」
「どうやってって………えーと……どうにかして」
「だからどうどうにかしたのか訊いてんだよ!!」
怒鳴るだけ怒鳴ると、重い吐息を零した妹子は側に置いてあった書簡の山を
炬燵の上に積み上げる。
「まあこの際どうだっていいですよ。
太子の居場所は大体把握してましたから、ちゃんと仕事も持参してきましたよ。
はいこれ、今日中に何とかして下さいね?」
「なにィ!?妹子貴様!!
仕事を家に持ち帰るなんて、サラリーマンの名が廃るぞ!!」
「やかましい!!それもこれもアンタが逃げなきゃこんなめんどくさい事
しなくても済んだんですよ!!
ほら、今回はちゃんと紙も筆も墨汁も全部用意しましたからね!!」
「……………。」
炬燵の上に積まれた書簡の山を、まるで憎い敵を見るかのように見つめた太子は、
ややあってからツーンと顔を逸らし、再び炬燵の中に潜り込んだ。
「やだね」
「な…ッ、た、太子!!
我儘言わないで下さいよ!!」
「今日はもうサボるって決めたんだもんね。
代わりに妹子やっといてよ」
「やれるか!!」
「おやすみー」
「起きろ!!!」
こうなってはもう梃子でも動かない。
怒鳴っても揺さぶっても足蹴にしても起きようとしない太子を見て、妹子は
うんざりしたような声を上げた。
「はァ〜……なんで僕がこんな苦労しなきゃなんないんだよ……。
もういいや、僕もサボろう。
太子の仕事なんて僕が知ったこっちゃないし」
そうぼやくと、太子が転がっている所とは別の場所から炬燵へと足を入れる。
同じように座布団を二つに折って横になると、寝てしまうまで然程時間は
かからなかった。
「…………はッ!!
ヤバい、めっちゃ寝ちゃった!!」
がばりと炬燵布団を跳ねのけるようにして妹子は飛び起きる。
窓から外を見ると、太陽は西の山間に顔を隠そうとしていて、うっすらと
夜の藍色が広がっていた。
随分と長い時間を居眠りしてしまっていたようだ。
「しまった、怒られる…!!
結局アホ太子に仕事させてないし!!」
「誰がアホだ誰が」
ふいに声が聞こえてきて、妹子はきょとんとした目を向ける。
寝転がっていた体を起こした状態で、じと、と拗ねたように目を据わらせている
太子と視線が合って、一瞬だが妹子はたじろいだ。
「た、太子…?」
「まったく、妹子が怒られちゃ可哀想だな〜って思って仕事したのに。
ちぇー、やっぱりやんなきゃ良かった」
「ままま待って下さい太子、仕事はして下さい!
ってか……仕事、してくれたんですか」
「うん、あとこれでおしまい。
もう少し待ってて」
フンフンと鼻歌を歌うような機嫌で横にあった書簡を手に取る。
という事は、反対側に置いてある山積みの書簡は終わってしまった方か。
「………やればできるんじゃないですか」
「そりゃそうだ、私はスーパー摂政だからな」
「じゃ、なんで普段からやらないんですか」
「そりゃお前、私だって遊びたい年頃だからな!」
「いつまで遊ぶつもりだよ、このオッサンは……」
はぁ、とため息をひとつ零すと、よいせと勢いをつけて妹子は立ち上がった。
やればできるのに、この人は何もしようとしない。
だから周りがいつも苦労するのだ。
「何処行くの、妹子?」
「お茶でもいれようかなと思いまして。いりませんか?」
「いるー!!いりまくるぞ!!」
「はいはい」
両腕をブンブンと振り回して言う太子を見て、まあ仕方ないかと妹子は
肩を竦めて少しだけ、笑った。
山積みにされた書簡をもう一度抱え、妹子は朝廷へ戻るべく戸口へと
足を向けた。
確かに仕事はさせる事ができた。
が、結局これだけの量をさせるのに丸々半日は費やしてしまった。
そう思うと、やっぱり燃費が悪いなと考えてしまう。
つまり半日、自分も仕事が進んでないのだ。
「そういやさ妹子、それなんでお前が持ってきたの。
お前の担当じゃないと思うんだけど?」
「太子付きの方に頼まれたんですよ。
自分達から言ったんじゃ少しも仕事しようとしないから、
妹子殿からガツンと言ってやってくれって」
「へぇ、ガツンとか」
「ま、僕から言ったところで聞くような人じゃないとは言ったんですが。
頭下げられちゃ僕だって断れませんし。
それじゃコレ渡してきますから、太子はさっさと帰って下さい」
「なんだなんだ、用が済んだら私はポイか!?」
「最初から拾うつもりも無かったんですがね」
「ポイは認めたーーー!?」
がくーんと肩を下げて炬燵に突っ伏してオイオイと泣き始めた太子に、
妹子は面倒臭そうな視線を向けた。
超めんどくさい。
超が超つくほどめんどくさい、が。
「太子、夕飯はカレーで良いですか?」
「い、妹子ーー!!」
「うるさウザいです太子」
「バッサリ切るな!!」
「カレー食べたら帰って下さいよ?」
「あ、そうだ妹子」
「なんですか」
「布団、2組ある?」
「泊まる気かよ!!」
くっそ、やっぱり言うんじゃなかった!!
ブツブツ言いながら戸口の向こうに消えていった妹子の姿を見つめ、
太子は炬燵に突っ伏したままくすくすと笑みを零していた。
まったくアイツは、私に甘い。
<終>
初めて書いた日和SS。
脳内で自然と前田&竹本ボイスが聞こえてくるような
雰囲気に持っていけてるといいな、なんて。
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