日も暮れて数時間も経ち、すっかり空は夜の闇だ。
外を歩くのは大人ばかりで、そんな中を足早にガイは歩いていた。
子供の足では少し離れたところにある知り合いの家まで、親に頼まれて
届け物をしてきたのだ。
その用事も済み、家に帰るだけのガイの足は自然と遠回りの道を選ぶ。
こんな時間に外へ出ることも滅多に無い、冒険心が出るのは仕方の無い
事だろう。
川沿いに続く土手を歩いていて、ぴたりとガイの足は止まった。
もう見慣れた、夜でも月明かりを受けて目立つ白銀の髪。
それをこんな妙な所で見かけたのだ、足も止まるというものだ。
(…………カカシ…?)
何をしているのかなんてガイに分かる筈が無い。
だが行動力の塊であったその子供は、分からなければ直接訊けば良いと
土手の斜面を滑り降りたのだった。
<帰る場所>
「なにしてるんだ、カカシ?」
「………ガイこそ珍しいな、こんな時間に」
ポンと肩に手を置いてガイが問えば、近づいてくる自分のことなど
とうに知っていたのだろうカカシはちらりと視線を向けるだけで、
別段驚いたという風には見えない。
そんなカカシと同じように隣に腰を下ろすと、ガイはすぐ傍に咲いていた
小さな花を片手で引き抜いた。
「親に届け物を頼まれたんだ、もう帰るだけなんだけどな。
カカシこそ、こんな所で何やってるんだ?帰らないのか?」
「…………もう少ししたら帰るよ」
「子供はもう寝る時間だぞー?」
「……それ、中忍の俺に向かって言ってる?」
「下忍も中忍も上忍も関係あるもんか」
まだアカデミーを卒業すらしていないガイは、そんなカカシの言葉に
ぷうと頬を膨らませた。
「いいんだよ、俺は」
小さく返すとカカシはガイの手から花を取り上げる。
何するんだと抗議の声を上げるガイに、無闇に詰むなと言ってカカシは
立ち上がった。
「俺はいいって、どういう理屈だ」
「んー?」
「さっきも言ったぞ、下忍も中忍も上忍も関係ない。
カカシは俺と同じ歳で、まだ子供じゃないか」
「…………そうだね」
「子供はこんな時間まで起きてるもんじゃない。
今日はたまたまだけど、普段なら俺の親はそう言うぞ?」
同じように立ち上がってふんぞり返るようにしながらガイが言うのを見遣って、
カカシは少しだけ頷いた。
そして、そんなガイを少しだけ羨ましいとも、思う。
「………帰りたくないんだ」
「え…?」
夜目でも分かる、手元で風に揺れている小さな白い花を見ながら、カカシは
呟くように言った。
「帰りたくないって……」
「だって、」
その白い花を無造作に放る。
音もなく川のせせらぎに乗った白い花が、下流へ進んで行くのを見送りながら。
「帰ったって、誰もいないから」
母親は物心つく前に亡くしてしまった。
父親も色々あって、悲壮な最期を遂げた。
あの家にはもう、誰もいない。
誰もいない家に帰ったって、仕方が無い。
ドアを開けても真っ暗で、ただいまと声をかけても返って来る言葉など無くて。
父親を亡くしてから、カカシは眠るためだけに家に戻っていた。
小さな子供一人で耐え抜くには広く、寂しい場所になってしまっていたのだ。
「カカシ……」
「でも、まぁ今日はもう帰ろうかな。
じゃないとガイがうるさいし?」
「うるさいってなんだ!!
俺はただ…ッ、」
言い返そうとして続く言葉が見つからず、ガイはそこで口を噤んだ。
何を言っても、カカシには届かない気がして。
普段は外で勝負をするか何気無い話をするかしかしていなかったから、
カカシの家族の事なんて知らなかった。
誰も居ないなんて、思わなかった。
「…………同情すんなよ、ガイ」
「なに…?」
「まだ外では戦争が続いてるんだ、俺みたいな子供は珍しくも無い。
………忍の世界じゃ、こんなの珍しくないんだ」
「カカシ……」
「俺は、大丈夫だから」
にこりと笑って、カカシはガイの肩を叩いた。
言葉なく立ち尽くすガイに早く帰れよと告げると、カカシはゆっくりと
土手を上がって行く。
その姿が道の向こうに消えても、ガイはまだ動けなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
カカシにとって家とは、眠るための場所だ。
一人きりになってしまう前はそうでも無かったような気もするが、
父親が死んで随分経つ今では、家というものの存在意義などすっかり
忘れてしまっていた。
中忍になって任務で忙しくなったというのも理由の内ではあるが、
多分それは自分にとって言い訳に過ぎないと、自身で理解している。
目が覚めたら外に出て、任務をこなしたりガイやオビトと一緒にいたりして、
夜になったら眠るために家へ戻る。
その繰り返しだった。
事実、明かりの全く灯っていない家を前に、胸のどこかがすうっと冷えて
いくような感覚がある。
戸を開けても誰もいない、声をかけても返事はない。
そんな場所に戻るのが、いつの間にか嫌になっていた。
「………ただいま、」
それでも、物心ついた頃からの習慣はなかなか消えてくれない。
返事がないことなんて知っているのに、口はいつものように開いていた。
だが、今日は。
「おかえり、カカシ!」
パチ、とスイッチの音がして明かりが灯る。
靴を脱ごうとしていた手が止まって、カカシは勢いよく顔を上げた。
「…………なにしてんの、ガイ?」
驚いたなんてものじゃない、誰もいないと頭から思い込んでいたのだ。
まさか自分の言葉に返事があるなんて思わなかった。
随分前から待っていたのだろう、おかっぱ頭の友人はニッと笑みを乗せて
カカシの方へと手を伸ばして。
「お前を待ってたんだ、カカシ」
「待ってたって……何か用事?」
「いや、用は全然無いんだけどな」
照れ笑いを浮かべて、ガイはカカシの手を掴んだ。
用事が無いなら何故こんな場所にいるのか、カカシには皆目見当もつかない。
しかしそれを問う前に、ガイが言った。
「誰もいないのが嫌なら、俺がいてやる。
ただいまって言っても返事が無いのが嫌なら、俺がおかえりって言ってやる。
………だから、さ」
ぎゅう、と痛いほどに握り締めて。
「お前は、ちゃんと帰って来い」
な?と念を押すように言うガイの方が、何だか泣きそうな顔をしていた。
もしかしてあの夜の話を、彼なりに気にしていたのだろうか。
どうすれば良いのか考えて考えて考え抜いて、その結果がコレなのか。
ガイの思考回路は単純に出来ている、それがどんな姿だったかなんて
カカシには簡単に想像できた。
そしてそんなシンプルすぎる答えが、こんなにも。
「うわッ!?」
感情のままに飛びつけば、驚いた声を上げてガイは尻餅をついた。
こんなにもココロを動かすものがあるなんて、知らなかった。
親は早々に死んでしまったし、周りの大人もこんなこと教えてはくれなかった。
教えてくれたのは、似たような身長で同じ歳の、小さな友達。
「…………ありがとう、ガイ」
しがみ付いてそう言えば、ぽんぽんと背中を叩いてくれる手があった。
それがまた嬉しくて。
ぽつりと床に落ちた一滴を、どうか見られていませんようにとカカシは祈った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
何もない空き地、そこを懐かしむように眺める。
今は更地になっているが、此処は昔自分が生まれ育った場所だった。
「……よう、カカシ」
「ガイか」
ふいに後ろから声をかけられ、振り向かないままカカシは答える。
隣に立つ存在を認め視線を横に向けると、ガイもどこか昔を思い出すように
目を細めて、その場所を見つめていた。
「……すっかり、全部なくなってしまったな」
「まぁ、俺一人じゃ広い家だったしな。
土地も全部手離してスッキリしたよ」
「しかし……良かったのか?」
「何が?」
「思い出の詰まった場所だろう」
少なくともガイにとって、生まれ育った家というものはそういう位置付けだ。
子供の頃の思い出がたくさん詰まった、そんな場所。
ガイの言葉にそうだねぇ、と考えるようにしながら、カカシはその場にしゃがみ込んだ。
手を伸ばしてガイの腕を引っ張れば、彼も簡単に膝をつく。
「俺さぁ、一人っ子だった上に親との思い出ってあんまり無かったんだ。
母親は俺が物心つく前に死んじまってるし……父親はあんな事になったろ。
そうじゃなくても……仕事仕事で任務ばっかりの人だったからな、遊んでもらった
覚えすらないんだよなぁ、コレが」
「…………。」
「あの頃の俺は、家に帰るのが嫌で嫌で仕方が無かった。
だけどいつだったか……お前が来るようになって、それも随分変わった。
あれだけ嫌だった場所が……そう悪いものでもないような気がしてさ。
今日は来てるかな、おかえりって声があるのかなって、楽しみにもしてた」
くすくすと小さく笑みを零しながら、そうカカシは懐かしげに語る。
あの家に対して思い出といえば、それぐらいしか無かった。
ガイがいて、たまにオビトも来て、帰ってきた自分におかえりと言ってくれて。
「………それだって、立派な思い出じゃないのか?」
「ま、そうなんだけどね。
だけどそれは家が無くたって、思い出せるよ」
「うん?」
「………お前がいれば、大丈夫だから」
ガイの言葉にそうカカシが答えると、膝に力を入れて立ち上がった。
真正面にはもう、何もない空き地が広がるのみだ。
だが、今でもちゃんと覚えている。
どの辺りに玄関のドアがあって、どの辺りにガイが立っていたか。
ガイがいつでも手を伸ばして、おかえりと笑ってくれたから。
だから自分の足は、いつだって真っ直ぐこの場所に向かえたのだ。
「俺の帰る場所は、いつからか家じゃなくなってた。
お前が笑っておかえりって言ってくれる場所、
そこが、俺の帰る場所だった」
だから、この場所に未練なんてある筈も無い。
おかえりと笑ってくれる人が、隣に立っているのだから。
「俺はいつだって、お前の所に帰って来るよ」
「………カカシ、」
「思い出なんていらないよ。
大体、近くに本人が居るってのに、思い出に耽るなんて
失礼な話じゃないか」
「…俺だってこんな商売だ、いつまでもいるとは限らんぞ?」
「ま、その頃には別の思い出がたくさんできてるでしょ」
今は空き地のこの場所も、いつか違う人の手に渡り、違う人の思い出が
できていくに違いない。
それでいいと思っている。
「……まぁ、お前が良いと言うのなら、それで構わんさ」
暫く何かを考えるようにしていたガイが、ゆっくりと立ち上がりながら口を開いた。
「俺のいる所に帰って来るというのであれば、
俺は変わらず迎えるだけだ」
な?と笑うその顔は、いつかどこかで見たことがあった。
ほんの少し泣きそうな、だけど決して泣くのではなくて。
「………ありがとね、ガイ」
「……いや、」
行こう、とカカシが声をかけたので、素直にガイも従う。
その視界の端で、伸びきった雑草の合間から顔を覗かせている白い花が目に入った。
どこか見覚えのあるその姿に思わずガイの口元から笑みが零れ落ち、それを見ていた
カカシが何笑ってんの?と変な顔をする。
風に揺られてふわりと身を傾けているその花は、いつか自分が手折り、
カカシが川へと投げ入れたものと同じだった。
<END>
なんだこのバカッポー。(笑)
セピア色の思ひ出を目指したつもりで玉砕。
なんだコレ、単にイチャついてるだけじゃないか。(笑)
子供の頃の話は、一応2人が6歳の時ぐらいのイメージで書きました。
ていうかコイツらいつからの知り合いやねん!
2人の出会いは5〜6歳の時だと私は勝手に決めてますが。(決めてんのか)
出会ってすぐに仲良しになってるといいな。
カカシには周りに同じ年頃の友達ってのがいなかったから。
ガイは持ち前のあの性格だから。
ライバルなんだけどね、それ以上に友達。