辛いことがあったら、目を瞑って、3つ数えて下さい
いつだったか、リーが教えてくれたこと。
目を瞑って、1つ。
大きく息を吸って、2つ。
ゆっくり息を吐いて、3つ。
じゃあ、目を開けてみて下さい。
キミには……何が見えますか?
<What world can be seen over there which opened eyes?>
リーという男は、不思議なぐらいしょっちゅう病院に放り込まれている。
その理由の大半が、任務先で無茶をして、というのだから本当に頭が痛い。
ネジやテンテン、更にはガイまでついてる時ならそうでもないのだが、
中忍に上がり、リー自身が部隊長になって下忍を統率するようになってからは、
その頻度は更に上がった。
今日もまた、任務を終え帰ってきた下忍の子が知らせに来た。
任務先で傷を負い、病院に担ぎ込まれたのだと。
それを聞いた当初、ネジは「またか」の一言で終わらせたのだが、
ガイが留守という事もあって代わりに様子を見に行ってみれば、
驚いたことに彼は集中治療室にいるらしい。
傷だらけになりはするが致命傷は必ず避ける奴なのに、何故。
赤いランプの光る部屋の前、ネジは眉を顰めてただ佇むことしかできなかった。
厄介な幻術を扱う忍が、野盗の群れの中に紛れていたのだと聞いた。
幻術で身体を縛り、動けなくしてから攻撃を加えてくる。
そんな術を持つ相手に五体満足で戻ってこれた理由はいくつかある。
1つは、忍自身がまだ場慣れしておらず、戦闘に不慣れであったこと。
1つは、リーの率いたチームの中に、幻術に長けた下忍がいたこと。
そしてもう1つは、やはりリー自身の無茶な行動だ。
敵の忍とは全く逆で戦闘慣れし過ぎているリーは、幻術の最中にありながらも
戦う事を止めなかった。
本人の意識に反して眠ったままでも勝手に身体が動くリーは、無意識下に
あったとしても戦いを止めることがないのだ。
そうして無理矢理幻術を振り解こうとする肉体とは裏腹に、精神は幻術に
蝕まれてゆく。
任務を終え敵を蹴散らし、下忍の子がリーの幻術を解こうとしたのだが、
その時点では、もうどうにもならなかった。
「厄介だねぇ……、精神崩壊を起こしているよ」
治療を終え出てきた綱手は、ネジの姿を見つけてそう小さくぼやいたのだった。
家族のいないリーには、こういう時に面倒を見てくれる人間がいない。
普段はガイがその役も担っているのだが、彼は今任務に出ていて留守だ。
その為なのだろうか、一番近しい人間として綱手はネジを選んだようだった。
「精神崩壊…ですか?」
「簡単に説明するなら、カカシやサスケも前に幻術にやられて寝込んでた
事があっただろう?それと似たような状況だ。
いや…それより事態は少し深刻だな。
できるだけの事はしてみたんだが……まだ目が覚めない」
「………どうなるんですか?」
「さぁて、ね……」
困ったねぇ、と頭を掻いて綱手は吐息を零す。
できる限りの治療は施したが、後はもうリーの精神力次第だ。
幻術は既に解いてある、もう自分にできる事は何もない。
「このまま寝たきりになるか、自力で目を覚ますか。
もう2つに1つだね。
病室に運ぶから……傍に居てやりな。
後はもう、私もお前も待つしかないんだ」
壁に背を預け腕を組んで、綱手はそうハッキリと言い放つ。
それに対して、ネジは返答する術を持たなかった。
綺麗なものだな。
ベッドに寝かされた傷ひとつないリーの顔を、椅子に座って
ネジがぼんやりと眺める。
医療忍術はある程度のものなら治してしまうが、それでもやはり
限界があるという事だろうか。
リーが受けた外傷は綺麗に消えてしまっていて、傍から見れば
本当にただ眠っているだけのようにしか見えない。
けれど、もしかしたらこのまま永遠に眠り続けるのかもしれないのだ。
否定できない可能性を考えて、ネジは眉根を寄せた。
ガイもテンテンも任務でいない今、リーを見ていてやれるのは
自分しかいないのは分かっているのだけれど。
だけどもこうやって床に伏せる彼は、否応にも過去の事を
思い出させて気持ちが後ろ向きになってしまう。
過去の中忍試験、道半ばで倒れてしまった彼のことを。
「………まだ道の途中だろう?
こんな所で寝ていてどうするんだ、リー…」
唇を噛み締めて、ネジはリーの姿をただ見守ることしかできない自分を
強く呪うしかなかったのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
あれはいつだっただろうか。
昔、まだ自分が日向の一族に対して蟠りを捨てきれていなかった頃だ。
もう何があったのかは覚えてないのだが、その日の自分はとにかく落ち込んでいた。
自分とていつも気丈でいられるわけではない、そういう時だってあるものだ。
とにかく気分は最悪なまでに後ろ向きで、全てに投げやりになってしまって、
そんな気持ちでいた時に、何故かそんな自分を見つけて声をかけてきたのが
同じチームのリーだった。
リーはといえば、その頃は何かにつけいちいち自分に勝負を挑んでくる、
どちらかといえばウザい存在であったのだが、その日の彼はどこか
いつもと様子が違っていた。
今思えば、自分が落ち込んでいる事に気がついて、それで声をかけて
きたのだろう。
「もしかして、今……ちょっと辛かったりしますか?」
何があったんだ、どうしたんだ、とは聞かなかった。
あれでいてよく気のつく男だと思う。
一度大喧嘩をやらかしてからは、更に気を遣うようになったのかもしれない。
ただ一言、そう言って訊ねてきたリーに、まあな、と言葉少なく答えると、
そうですか…と少し考えるようにしてから、リーはパッと表情を明るくさせた。
「じゃあ、とっておきの技を教えてあげますよ!!
これをすればたちどころに元気の出てくる、おまじないです」
そして、リーは目を瞑って下さい、と言ってきた。
疑わしげに見るしかない自分に、騙されたと思ってやってみて下さい、と
重ねて言われて、渋々ながら従った。
「辛いことがあったら、目を瞑って、3つ数えて下さい。
目を瞑って、1つ。
大きく息を吸って、2つ。
ゆっくり息を吐いて………3つ。」
言われるままに大きく息を吸い込んで、深く吐く。
じゃあ目を開けて下さい、そう言われて閉じていた瞼をゆっくりと
持ち上げた。
目の前に広がるのはさっきと変わらない景色、そして。
「キミには……何が見えますか?」
あの時、俺は何を見ただろうか?
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
あれはいつだっただろうか。
そうだ、あれは下忍に上がってすぐの頃。
まだネジやテンテンともあまり親しくなっていなかった、そんな頃。
何度目かの勝負に挑んで負けて、べそをかきながら逃げ出した、
その先での事だ。
もうできない、頑張れない。そう嘆く自分に、上司であり師とも
仰いでいる人が教えてくれた。
「よぅし!じゃあリーにとっときの技を伝授してやるぞ。
とても重要な技だから、心して聞くようにな!!」
「とっておき……ですか?」
ぐす、と鼻を啜りながら訊ねる自分へと大きく頷いて、師は目を閉じろと
言ってきた。
素直に瞼を下ろした自分の耳に、師の声が響く。
「よし、瞑ったな?そうしたらゆっくりと3つ、数えるんだぞ。
目を瞑って、1つ。
次に大きく息を吸って、2つ。
最後に、ゆっくり息を吐いて、3つ。
………じゃあ、目を開けるんだ」
言われるままに大きく深呼吸をする。
身体の中の空気がまっさらなものに入れ替わるような、そんな気持ちがする。
そして目を開けて辺りを見回すと、目を閉じる前と変わらない演習場の風景が
広がっていた。
「何か、変わったか?」
「いえ………特には、何も」
景色が違って見えるわけでもない、身体を見回してもいつもと変わらない
細っこい腕や足があるだけだ。
「ははは!!そうだなぁ、風景も自分の体もさっきとは変わらない。
だが………今確実にお前の中で変わったものがあるぞ」
「何ですか?」
問い掛ける自分に、だが師は笑みを見せたままで答えてはくれない。
僕には分かりませんと言えば、それならもう一度やってみろと言われた。
もう一度。その言葉にさっきの師の言葉を思い出しながら目を閉じる。
目を瞑って、1つ。
次に大きく息を吸って、2つ。
最後に、ゆっくり息を吐いて、3つ。
そうして、目を開く。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
病院に足を運ぶようになって、5日が過ぎた。
まだリーは眠ったままだし、ガイもテンテンも帰ってこない。
ベッドの傍で足を止めて、ネジはリーを見下ろすように見遣った。
いつ来ても変わらないこの姿、本当にずっとこのままなのだろうか。
くるくるよく変わる表情も、しなやかに動く体も、全て閉ざしたままで。
知らず握り締めた拳に力が篭る。
此処に居ても、何もしてやれない、何もできない。
ただ自分の無力さを痛感するしかない。
キリ、と小さく胸が痛んで、ネジが僅かに目を細めた。
そんな脳裏に、ふと思い出したのが、あの日のリーの言葉。
一度だけ、リーに言われてやったことのある、おまじない。
結局あの日から今まで、後にも先にもあの一回のみだったけれど。
握り締めていた拳を解いて、ネジは少しだけ肩の力を抜いた。
何故、今になって。
だけどもしかしたら、今だから、なのかもしれない。
リーの言葉が鮮明に思い出されるのは。
「辛いことがあったら、目を瞑って、3つ数えて下さい」
目を瞑って、1つ。
大きく息を吸って、2つ。
ゆっくり息を吐いて………3つ。
気持ちを落ち着かせて、閉じていた瞼を持ち上げて。
「ネジ」
視界に入ったのは、自分に目を向けて僅かに笑んだ、リーの顔。
驚きを隠せないままで、ネジが小さく息を呑んだ。
「………リー…お前、」
「なんだか……長い夢を見ていました……」
少し疲れた表情でベッドに横たわったままの彼は、それでも間違いなく
その目を開いてネジに視線を向けていた。
「ガイ先生が、おまじないを教えてくれた時の夢でした。
僕は先生の言うとおりにやってみるんですが、そのおまじないの
効力がよく分からなかったんです。
だからそう言ったら…じゃあ、もう一度やれって言うんですよ」
ネジへと向けていた視線を外して、リーは白い天井を見上げる。
横たわったままの身体はまだ上手く言うことをきいてくれないようで、
だが頭は少しずつ冴えてきて、自分のおかれている状況や何が起こったのかは
思い出してきた。
「それでね……もう一回、やったんですよ」
「……どうなったんだ」
静かな問い掛けに、リーはきょとんとした表情をしてネジを見たが、
だがそのすぐ後には小さく笑みを漏らしていた。
「目を開けたら、そこにネジがいたんです」
目の前に、こうやって立ち尽くして。
さっきまで確かにいなかった筈なのに、どうしてそこに彼がいるのだろうか。
一瞬これも夢なのかと思ったのだが、その後にネジがとても驚いた表情をしたから
すぐに現実なのだと理解した。
そう説明すれば、またほんの少しだけビックリしたような顔をして、だがすぐに
表情を戻したネジが静かに語る。
「…お前は、5日間ずっと眠りっぱなしだった」
「え?」
「綱手様からは、もしかしたらこのままずっと目覚めないかもしれないと
言われていたんだ」
「そう…だったんですか……」
どうしたら良いのか分からない。
こんな時ぐらい頼りにする師は、任務で行方知れず。
仲間も出払っていて、自分一人で。
「正直な話、途方に暮れていたのかもしれないな。
こんな時はどうしたら良いのか分からなかったんだ。
でもその時……俺も思い出した。そのおまじないの事を」
たった一度しかしなかった、リーが教えてくれたおまじない。
あの時見たものが何だったのか、そして自分がどう反応したかも、
もう随分と朧げで思い出せないけれど。
けれども、その曖昧な記憶に縋るような気持ちで。
「……目を開けたら、お前が……笑っていた」
そうだ、目を開けても変わったものなど何も無かった。
変わらない景色の中で、相変わらずな人達が、いつもと同じ笑顔を
見せているだけだった。
それは昔も今も同じ、だからこそ………安堵する自分が居た。
「……そうだ、初めてお前から教えてもらった時も、同じものを見た」
心を落ち着けて、目を開けて、屈託の無い笑顔がそこにあって。
何も変わらない笑顔を見て、確かに浮上する心があった。
一歩、ベッドのリーに歩み寄って、そっと指先でその髪に触れた。
梳くように指を流すと、気持ち良さげにリーが目を閉じる。
「頑張るのはいいが、あまり無茶はするなよ」
「善処はしますが、身体が勝手に動くのまではどうしようもありません。
何せ、僕の意思ではないものですから」
苦笑を浮かべそう漏らすリーを暫く見つめた後、そうかと呟くように返事をして、
口答えをしてくる生意気な唇に、ネジは半ば噛み付くようなキスをした。
慌ててリーが身動ぎをするも、両肩までがっちり押さえられていては抵抗も空しい。
「っ、………いきなり何するんですか!」
「ああ、身体が勝手に動いたんだ」
食ってかかってくるリーに、どうしようもないだろう?なんて、しれっとした顔で
ネジは答える。
「屁理屈です!!」
「何とでも言え。
文句があるなら早く動けるようになるんだな」
「む……」
理不尽だと眉を顰めてリーが口をへの字に曲げた。
だが、と思考がどこまでも前向きなリーはすぐに考えを変える。
彼なりに心配してくれていたのだろう。
目覚めるかどうかも分からない仲間を待つ気持ちは、想像できる。
きっと、とても…とても、辛い。
それが大事に思う相手であればあるほど、尚更だ。
だからこそ彼は自分の教えたおまじないを思い出したのだろうから。
ネジはもう覚えていないのかもしれないけれど、自分はよく覚えている。
彼におまじないを教えてあげた日のことを。
あの時、目を開けたネジは、こう言ったのだ。
【例えるなら、閉めきっていた扉を開けた時のようと言えばいいか。
外は何も変わらなくて、そこで阿呆面して笑ってるお前がいて、
だが…………ああ、悪くない。悪くない気分だ。】
若干引っ掛かる物言いはあったが、あの頃の彼を考えれば、最高の
表現だったのではないだろうか。
酷く落ち込んでいた様子のネジが吹っ切れたのは、割と早かった。
そんな昔のことを思い出してくすくすと笑みを零していると、
不思議そうな表情で見ていたネジが首を傾げる。
「…なんなんだ、急に」
「いえね、やっぱりガイ先生のおまじないは凄いなぁって」
「まぁ……否定はしない」
「やっぱり素直じゃないです、ネジ。
ここはネジもガイ先生は凄いって言うべきです」
「誰が言うかそんなこと」
憮然と言い放つネジを見て苦笑を漏らせば、ややあって彼もふわりと
柔らかい笑みを浮かべたのだった。
辛いことがあったら、目を瞑って、3つ数えよう。
目を瞑って、1つ。
次に大きく息を吸って、2つ。
最後に、ゆっくり息を吐いて、3つ。
とっておきの、おまじないだ。
<END>
え、ちょ、もしかしてデキてんのかこの2人!?(お前が言うな)
どっちにしろ、カカガイよりネジリーの方がバカップル度高いと思ってますんで、はい。
ええと、大変な長文にお付き合いありがとうございましたー。
前後編で分けた方がいいのかもと考えましたが、やっぱりコレは1本でいった方が
良いと判断しまして。一気に読んでやって下さいまし。
補足というほどのものでもないのですが、マイ設定ではリーくんも天涯孤独の身だと
いいなぁなんて思ってます。両親はいたけど九尾の事件の時に死んでしまって、
その後は祖父母と暮らしていたけど、その祖父母もリーがアカデミーに通ってる頃に
亡くなってしまった、そんな具合で。ビバ捏造。
ちなみにテンテンにはちゃんと両親がいます。ネジは母親だけですね。
あと最後に、おまじない。
分かってらっしゃるとは思いますが、完全に捏造です。
やってみてもいいですが、効果のほどは保証しませんので、あしからず。(苦笑)
ちなみに私はやりません。(お前…)